闘病日誌 Part01
それはMantyの誕生日、自分のおやじの誕生日でもある、雛祭り(3月3日)の朝だった。
警備員のバイトをしていた自分は、現場に到着し作業員の指示で、ユンボ(ショベルカーの小さいの)の移動に連れて、誘導をしていた。
現場は、交差点の10メートル先、片側は見通しの悪いカーブ...自分はユンボの後方2メートルくらいのところで、交差点のほうを向き立っていたときだった...
(つづく)
闘病日誌 Part02
ユンボの後方2メートルのところに立って、交差点を注意していた自分は、明後日(3月5日)に迫っていた、あっちゃんの結婚パーティーを兼ねた、今のTo-Yaでの、初お披露目のことを考えていた。
明日(4日)は、首のヘルニアがまだ良くないので、整体の予約も入れてあるし、万全だなと思っていた。
そんな自分に、これからとんでもないことが起こるとは、到底考えもつかなかった...
(つづく)
闘病日誌 Part03
十分な間隔をあけて、体はユンボ、顔は交差点と、逆を向いて立っていた自分の足に、違和感が生まれる。
ふと足元を見ると、ユンボのキャタピラ(ゴム製)が、まさに自分のつま先を飲み込んだところだった...
心の中では「うわ〜〜〜」と叫んでいるが、声にならない...
(つづく)
闘病日誌 Part04
声が出ない!!...そう心の中で叫んだ自分は、なんとかつま先が抜けないかと、抵抗を試みるが全く動かない...そして、徐々につま先に激痛が走る。
特に、このユンボは低速の部類に入る機種で、最高時速は1.4キロ。そんな、ゆっくりな機械に自分はこのまま飲み込まれていくのだろうか?
そんな疑問も浮かび始めた...
(つづく)
闘病日誌 Part05
迫り来るキャタピラの恐怖に震えながら、自分の口から初めて出た言葉は「イタイイタイイタイイタイ」だった。
当然、そんな言葉じゃ運転手には聞こえず、尚もバックし続ける。
そんなときに、自分にとって絶望的な音が聞こえた...
(つづく)
闘病日誌 Part06
すでに足は、つま先から左足側面にかけて、キャタピラに飲み込まれていた。
一番硬い路面には、左足のくるぶしが当たっている。
ひざまで踏まれるか踏まれないか...というところで聞こえたのは「パキッ」っていう結構甲高い音だった。
そう、その瞬間自分のくるぶしは無残にも真っ二つに割れたのだ...
(つづく)
闘病日誌 Part07
その音を聞いた自分は、完全にパニクってしまった。
「パキッ」って...完全にやっちゃったな...とか、
このまま体まで乗られたら死んじゃうな...とか、
変なことばかり頭に浮かぶけど、やっぱり声にならない。
やっと、ユンボのバックが止まったのは、キャタピラがひざを完全に隠したときだった...
(つづく)
闘病日誌 Part08
やっと異変に気付いた運転手は慌てて前進させる。
...また同じだけ移動するのか...パニクっていながら、冷静に考えてしまった。
ようやく、キャタピラから開放された自分の足は、ひざから下に全く力が入らなくなっていた。
...どこが折れたんだろう?...そんな考えが浮かぶが、すぐに違うことに気付き、恥ずかしくなった...
(つづく)
闘病日誌 Part09
気付いたこととは...交差点の近くだったので、結構人通りが多かったこと...しかも、女子高生が通学に使う道だった...
自分はユンボに踏まれてる間、左足を上にして女座り(しなっとした感じ)になっていたのだ...
ホントにパニクっているから、痛さよりその恥ずかしさが優先されていた...
(つづく)
闘病日誌 Part10
頭がとっちらかってる自分にとって、そのときは痛みより恥ずかしさが優先されていた。
キャタピラが全てどいた後、振り返ると、通学途中の女子高生が自分のほうをジロジロ見ている...恥ずい!!...
とにかく、この状況を何とかしようとして、右足で立ち上がろうとするが、右足も左足の下にあってかなりな打撲を負っていた...
(つづく)
闘病日誌 Part11
右足が痛い、でも、左足はもっと痛い...いつまでも、交差点で道端に座っていられないので、仕方なく右足でけんけんしてフェンス越しにある砂利道に退避する。
そこでも、自分のパニクりかたは炸裂していた。
自分の足の痛さはどこかよそにやって、変なことを繰り返し言っていた...
(つづく)
闘病日誌 Part12
その変な言葉とは、何を思ったか監督に対して「申し訳無い、ごめんなさい」と同じ意味のことを何回も繰り返していたのだ。
ユンボを運転していた若いあんちゃんのことは「責めないで下さい」とか、あとで考えると、どう転んでも自分は悪くなかったんだけどね...
一度、現場に到着したユンボの2メートル後ろにいて、ひざまで踏まれたんだから、停止した位置から、さらに3メートル近くも移動してることになるから...
(つづく)
闘病日誌 Part13
それは、病院までの道のりでも続いていた。
現場に迷惑をかけないように救急車を呼ばず、監督の車でその業者のかかりつけの病院まで送ってもらう間ずーっと「申し訳無い...」って...
ホントにパニック!! なんか、どうしようもない状態だった。
ようやく、病院に着いて考えたこともおかしかった。
人は、精神状態が不安定だと、変なことを考えるものだと、あとで思った...
(つづく)
闘病日誌 Part14
病院に着いて、足がふくらんで脱ぎづらくなった靴を脱ぐ。
「は〜、完全にいってる...」そう思いながら、椅子までけんけんしてなんとかたどり着くと、考えたことは、あさって(3月5日)の演奏、ツーバスは無理だな...で、あった...
そのために、看護婦さんには「日曜(3月5日)には出られるんでしょ?」とか、聞いてるし...当然「出られる訳無いでしょ!! 入院よ入院!!」って、思いきり怒られちゃいました...
(つづく)
闘病日誌 Part15
もうひとつ思った変な考え...それは「明日の整体の予約、キャンセルしなきゃ」だった...
首のヘルニア治療のため予約を入れてあり、5日に備えて万全にするつもりだった整体の予約。
今、そんなこと思わなくても良いのにね...
そして、診察前にレントゲンを撮影する...
(つづく)
闘病日誌 Part16
さて、レントゲン撮影になるのだが...もうこの時点で諦めてたからね...
あとは、どこがどういうふうに? ってことしか考えてなかった。
だって、指には全く力が入らないし、腫れ方も骨折のそれって感じで、折れてるのは明白。
撮影が終わって診察になるまで、現場監督と話していたが「これ、完全にいっちゃってますねぇ」と自分...監督がおごってくれた雪印のコーヒー牛乳が、やけにまずく感じた...
(つづく)
闘病日誌 Part17
いよいよ、診察。
レントゲン写真を見せて「ここが折れてるね」と、副院長。
見てみると、またきれいに真っ二つにわれてるんだ、これが。
「ここに、ボルトを入れて固定するから」って言うんだけど、もう、写真は凝視できない。っていうか、見たくなくなっていた。
折れた場所は、左足の内くるぶし。
固い地面に接していた部分が、まっすぐに割れるように折れていた。
でも、不幸中の幸いだけど、骨が強かったらしいね。
普通は、丸まった骨が圧縮されたら粉砕するんだけど、そこまでひどくなかったのが良かったね。
まぁ、1トンは重かった...
(つづく)
闘病日誌 Part18
さて、診察も終わり、足の骨が折れているのが確定して、次にやることは...即、入院だった。
当然、全く心構えも支度もしてないので、私服のまま足に添え木をされてベッドに寝転がる。
周りの雰囲気に、余計気持ちはダークになってゆく...「いつ出られるのだろう?」そんなことばかりを考えた。
一番気になったのは、いつ手術するのか? だったが...
(つづく)
闘病日誌 Part19
入院が決まり、憂鬱になってる自分に更に嫌な知らせが...
それは、手術の日程。
入院した日は金曜の午前。
手術するのは、火曜の午後ということだった...
丸4日も折れたまま? って、谷底に突き落とされたような、そんな感覚に陥った。
でも、その4日間で一番辛かったのは、当日の夜だった。
あまりの痛さに寝付けなかったし、変な汗は出まくるし...ホントに最悪な雛祭りだった...
(つづく)
闘病日誌 Part20
もう20回か...さて、手術当日です。
前日の夕食以降、「食べるな! 飲むな!」と言われて夜を迎えるが、翌日に手術を控えて緊張するわ、怖いわで、熟睡出来る訳も無く、夜中に何回もタバコを吸いに病室を後にする...「腹へった〜」この気持ちは当日だけでは収まらなかった...
自分の手術は午後、自分より後に入院した、筋肉が切れてる患者さんのほうが先に手術することになっていた...が、それがかなり長引いて、始まりは14時を回った頃だった...
(つづく)